今回の記事は小春チェン児氏の依頼*1で、http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/20100409/p1に掲載されている「ナトリの叙述トリック」という文章を転載しています。

http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/20100404 のエントリーで紹介している、
『今さら人には開けないが、実はナトリが自アン民に聞いてみたい事』箱に、以下のような項ができていた。
 
・「これって自アン民が馬鹿過ぎなのか」項

http://203.138.211.206/cgi-bin/vote+/htm/1270604058.html

それとも俺が難しく書きすぎたのかわかんないんで誰か判断してくれ
by ナトリ
 
(4月07日(水)21時45分19秒)
ぶっちゃけて言えばオチが分かると同時に出来がいまいちなことも分かるのでコメントしづらい
必然的にわからない人の票と分かったけど口ごもる人の票ばかりになる
 
(4月07日(水)22時09分06秒)
この項の影響で初めて全部読んだけど、「俺」は小さな男の子で、「彼女」は「俺」の母親、「A」は「俺」と同年代の「小さな女の子」で、
三年前に公園かどこかで遊んでて「俺」に泣かされたことがある。
むこうの方から歩いてきたA(小さな女の子)を連れたAの母親と、俺と彼女(男の子と母親)が、ショッピングモールで出合った場面?
 
もしこれが正解なら、答え書いた時点で箱の意味なくなるから、みんなあえて伏せてるだけだと思う。
 
(4月07日(水)22時09分11秒)
長い上に一見つまらないので無視されてるんだと思う
そもそも自アンであんなメロドラマチックな話(実状はどうであれ)はウケが悪い
 
(4月07日(水)22時24分19秒)
あ、わかるのか良かった
出来不出来はどうでもいいけど
こういう文章って書いてる本人自体はネタがわかってるわけで匙加減がよくわからないんだよな
by ナトリ
 
(4月07日(水)22時29分51秒)
このオチは予想していなかった。
自己満足な長文書いてるんじゃねーよ
はいアク禁
というオチを期待してたのに。
まさかナトリの箱だったとは。
 
(4月08日(木)12時38分06秒)

 
さて、ナトリが最初の書き込みの中で挙げているURLの箱がこれ↓
 
※箱作成日時:2010年4月07日(水)10時34分18秒
 

箱題:俺には最愛の女がいる[俺の作ったこの長文のオチが解った人天才]
 
彼女と出会ってから今までの間に色んな女とも遊んでみたが、
彼女の事は片時も忘れた事がないし俺の人生で一番の女だと思っている
そんな彼女とショッピングモールを歩いていると、前から小さな女の子の手を引いた女性が歩いて来た
俺が三年前ぐらいに遊んだAだ、出会って少しの間は最高に楽しかったし幸せだったが
結局は気持ちがぶつかってしまい、最後にはAを泣かせたまま去ってしまった
Aは俺に気付くとニッコリ微笑んで俺の名前を呼び挨拶してきたので、
彼女は俺の顔を覗き込み様子を伺うような顔をしてくる
俺は焦ってる事を極力悟られないように笑顔で挨拶し返し、Aとの関係を彼女が失望しない範囲で答えた
彼女も誤解が解けたのか「初めまして」とAに自己紹介をして
「立ち話もなんだから」とAを強引にフードコートに誘いA親子と一緒に飲み物まで買ってくると言う
まったく…お人好しと言うかなんというか…まあそんな所に惚れてるんだけどな
テーブルに座って待ってるとAだけが戻ってきた(続く)
 
A「なんか二人気が合うらしくて楽しそうに喋ってるから注文は任せるって置いてきちゃった」
俺「久しぶりだね」
A「ふふっ、貴方に逃げられてどれぐらい経ったっけ?
俺「すまない…」
A「私は平気よ。こんな私でも好きだって言ってくれる人がいるんだもん」
俺「こんな私なんて言うなよ俺が未熟だっただけで君は悪くないんだ」
A「ううん。聞いて、ホントはね…私もあなたが一番じゃなかったの」
俺「えっ?」
A「あの後すぐ、泣きながらその人の所に行ってそのまま抱かれたの…」
俺「…」
A「私たちお互い様だったんだよ。だから気にしないで、私も気にしないから…ね?」
その後、暫く四人で他愛のない話をして別れた。
帰り道、彼女は「あの子結構かわいかったわよね…ひょっとして好きだった?」と言って悪戯っぽく見つめてくる
俺は「違うよ」と真面目な顔で答えて強く彼女の手を握った
そうか…Aも俺と同じだったのか… 

 
箱コメントのスペースに収まりきらないため、項に続きを書いていたのを、一つにまとめたのが上の文章だ。
さて、ナトリが言うこの文章のオチというのは、『これって自アン民が馬鹿過ぎなのか』項にも書かれてある通り、
実は記述者の正体は小さな男の子で、「彼女」はその母親、「A」は記述者と同年代の女の子だった、というもの。
 
この文章を読み、ナトリの意図するオチが何なのかを知った時、私はしばし呆然としてしまった。
ナトリは叙述トリックというものを、ろくに理解できていないのだ。
 
わざわざ解説をするのも馬鹿馬鹿しいレベルなのだが、念のために、この文章の駄目な点を指摘しておこう。
 
まず、この文章を記したのが(母親の手を握る行為に違和感が無い程度の年齢の)子供であるという前提において、
子供のものとは到底思えない思考力や表現力を記述者に与えてしまっている荒唐無稽さが、叙述トリックとして破綻している。
子供たちの言動が、子供らしいものとして無理無く描かれていてこそ、実は子供だったという真相のカタルシスが成り立つのだ。
(ナトリの素養にあっては栓無い話だが、この文章のプロットの場合、語り手を三人称にしたほうが文章を作りやすいのではないか)
 
次に、箱題で“俺の作ったこの長文のオチが解った人天才”などと謳っているが、文中のどこにもオチが書かれていないだろう。
この文章の場合だと、記述者が実は子供であることを読者に分からせる種明かしの記述がオチに当たると思うが、そのような記述は
文中に見当たらないし、また、記述者やAが子供である事実を明確に示す根拠や、それを匂わせる伏線に当たる記述も見られない。
(むしろ、子供たちに到底子供らしからぬ大人びた人格を与えてしまっている)
これではまったくミスリードの手法に適わず、ただ額面通りの、かつての恋人たちが再会する物語にしかならないのだ。
 
大人の男女の物語としてしか読めないものを、実は子供たちの物語だったのだと得意気に説明するナトリ。
だが、こんな文章はアンフェアを通り越して、ただの馬鹿だ。作者が自分であることをわざわざ申告している点から、
ナトリがこの文章の出来栄えにそれなりの自信を持っている様子がうかがえ、それだけでも十分に痛々しいのだが、
あげくに“これって自アン民が馬鹿過ぎなのか”などと言い放たれてしまっては、こちらももう開いた口がふさがらない。
まさしく全身から汗が噴き出るほどの恥をナトリは晒しているのだが、恥を晒した本人にその自覚はまったく無く、
むしろ快作を書きあげた充足感に浸っているという現実。物を知らないというのは、本当に恐ろしい。
 
ナトリは叙述トリックものとして有名な作品を、いくつか実際に読んでみるべきだと思う。
自アンでもかつて『○角館の殺人』や『○サミ男』などが話題に上がっていたのを私も見た記憶があるし、
件の箱内でも、『○戮にいたる病』を挙げている人がいる。そうした作品に触れて、叙述トリックがどういうものなのかを学ぶのだ。

(まあこんなことを書いていながら、私自身は『○角館の殺人』しか読んでないんだけどね)

結果として、自身が自アンに残してしまったログについて、穴があったら入りたいほどの恥ずかしさに身悶えせざるをえないかもしれないが、
そんなふうに勇気を出して自身の知性や教養の実情と向き合っていかないと、自分を変えることもできないのだ。
 
 
・サイモン・ブレット『死のようにロマンティック』
 
せっかくなので、私のオススメ作品を紹介しよう。
つい最近もナトリの童貞疑惑が取り沙汰されていたように、自アン民と童貞文化は馴染み深いものだが、
そんな自アン民たちの嗜好に合いそうなのがこの作品。
 
学力不足を知りながらもオックスフォードへの入学を目指して語学学校に学ぶ18歳の青年ポール。
彼とのマンツーマンの講義を受け持つのは、37歳にしてなお若々しい美貌を保持する才媛マデレーンだ。
抑えきれない性への衝動に日々思い悩む童貞のポールは、この女教師に対して並みならぬ想いを抱いていた。
そんな二人の空間に割って入ったのが、新任講師として学校に現れたバーナードである。
豊かな教養に加えて、容姿や社会性を満足に備えたこの模範的な紳士は、
マデレーンとの出会いから間もなく、互いの距離を急速に縮めていくこととなった。
ようやく現れた申し分のない相手に、37年間守り抜いてきた処女を捧げることを決意したマデレーン。
しかし、二人が着実に恋愛を進展させていく一方で、ポールはやり場のない欲求を、次第に暴力性へとエスカレートさせていた……
 
絶版本だが、古書店やオクでの価格は概ね1000円未満だと思う。
ストーリーテリングの巧妙さに加えて、随所に描かれる毒のきいたユーモアも楽しめる傑作だ。